さとう動物病院 長野県 千曲市 |
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エチオピア、国際救急医療活動 | |
私は1985年1月から3月まで、国際救急医療チーム(JMTDR)の調整員としてエチオピアに派遣されました。今でこそ、海外で地震や津波など大きな災害があると、「国際緊急援助隊」がスムーズに組織され、医療チームも素早く派遣されていますが、当時はまだ試行錯誤の段階でした。何百万人もの人々が被災した未曾有の干ばつ被害に対し、必ずしも充分な支援ができたとはいえませんが、その活動の一端をここに紹介できれば幸いです。 |
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▽ 首都、アジスアベバは標高2,400mの高原地帯にあり、緑に恵まれた美しい街です。ジャカランダやブーゲンビリアの花が咲き、ホテルの庭園もきれいに整備されていました。モカの銘柄で知られているエチオピア産のコーヒーは、同国を代表する農産品ですが、路傍の畑ではコーヒーの実がたわわに実っていました。 | |
▽ ナイル川の源流として知られているブルー・ナイルは、タナ湖から流れ出て、アビシニア高原の大地に深い渓谷を刻みながら、サハラ砂漠へと流れ下る。 | |
▽ 干ばつに見舞われた地域は、緑がほとんど見られないほど乾燥した不毛の大地に見えるが、よく見るとその中に集落が点在していた。 | |
▽ エチオピア北部のメケレの町には、大勢の干ばつ避難民が押し寄せ、郊外に難民キャンプのテントが設営されていた。町中には美しい教会の尖塔が立ち、市場では生鮮野菜や香辛料が売れ、そこに住む人々の日常生活を垣間見ることができた。 | |
▽ エチオピアの主食、インジェラとワット。インジェラはテフと呼ばれる非常に小さな穀類から調理され、当時、深刻な干ばつのため、テフの生産が激減していた。ワットは肉と野菜を香辛料で煮込んだ料理。とても美味しかった。 | |
▽ 民族衣装を着たエチオピアの女性と子供。 | |
▽ 干ばつ被災民のキャンプ。一つのテントに20人ほどが収容されていた。食料や燃料の配給を受け、自分たちで煮炊きをしていた。 | |
▽ 干ばつ被災民は次々に押し寄せたため、キャンプの外には収容しきれない被災民が順番を待っていた。 | |
▽ 教会と墓地、キャンプでは衰弱した人が大勢亡くなり、郊外にある教会の墓地に埋葬されていた。 | |
▽ キャンプ脇の道路と行き交う人々。 | |
▽ キャンプ内での医療活動。入院用のテント内では、大勢の患者が日本人の医師と看護師に治療を受けていた。地元の高校生が赤十字のマークを付け、ボランティアとしてお手伝いをしていた。 | |
▽ カトリック系の援助団体「カリタス」が、キャンプの運営を行っていた。被災民を集めて、彼ら自身ができることを、グループを作って指示をしていた。 | |
▽ 国際赤十字の医療施設、フィーディイングセンター。栄養障害児のためのプログラムを組み、必要な栄養が給与できるように活動していた。 | |
▽ ドイツから来ていたカトリック系のボランティア団体。ドイツ大使も軍用輸送機で視察に来ていた。大使一行がアジスアベバに戻るとき、私も買い出しに行くため、便乗させて頂いた。 | |
▽ メ ケレ市の郊外にある孤児院、ボランティア団体からの支援のある子供たちが収容されていた。 | ▽ キャンプ内の子供たち。少ない水で洗濯をしたり子守をしたり、よく働いていた。 |
▽ 町中の子供たち、屈託がなく、笑顔に溢れ、とてもひとなつっこかった。 | |
▽ キャンプ内の子供たちも、数日前まで死の瀬戸際にいたとは思えないほど、笑顔に溢れていた。 | |
(国際協力フォトコンテスト特選受賞作品) | |
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