さとう動物病院
 
長野県 千曲市
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人獣共通感染症としての狂犬病

 狂犬病の予防注射が法律で義務づけられ、全国的に行われています。しかし日本では、狂犬病が過去50年ほど発生していないため、どんな病気か必ずしも充分には認識されていません。私はアフリカで狂犬病の診断業務に携わったことがあり、その経験をもとに簡単にまとめてみましたので、ご参照頂ければ幸いです。

1.狂犬病とは
 狂犬病は、最も恐ろしい人獣共通感染症の一つです。人や動物がこの病気に感染し、いったん発病すると治療法はなく、必ず死に至るという極めて怖い病気です。病原体はウイルスで、感染動物の唾液中に多量のウイルスが含まれているため、咬傷により伝染します。
2.狂犬病の潜伏期間と臨床症状
 狂犬病は、感染してから発病するまでの潜伏期間が極めて長いのが特徴です。潜伏期間は一般に1カ月前後ですが、6年にもおよぶ例が報告されています。
 犬が感染すると、約80%が狂躁型(きょうそうがた)といわれる狂犬病特有の臨床症状を示し(写真参照)、反射機能の亢進、顔貌険悪、筋肉の痙攣、唸り、流涎(よだれ)などの興奮状態が2〜4日間続いた後、運動失調、下顎下垂、脱水、意識不明の麻痺状態を示し、その1〜2日後に死亡します。残りの約20%は麻痺型(まひがた)を示し、発病初期から麻痺症状が3〜6日間続いて死亡します。麻痺型は他の病気との鑑別が困難で、私の経験ではジステンパーを疑った症例で、実は狂犬病だったということもありました。
 狂躁型では、犬は極めて攻撃的となり咬傷事故が多発し、唾液中に多量のウイルスが含まれているため感染源となります。
 人も類似した神経症状を示しますが、とくに水に対して極端なほど過敏に反応するため「恐水病(きょうすいびょう)」とも呼ばれています。
3.狂犬病の診断
 狂犬病の診断には、次の3種類の方法が一般的です。
@病理組織学的検査
 大脳組織の染色標本を作製し、神経細胞中にネグリ小体(写真参照)と呼ばれる細胞質内封入体を確認する方法。ネグリ小体は大脳内のアンモン角と呼ばれる部分に出現しやすく、その出現率は66〜93%です。病理組織学的検査は、比較的簡便な方法ですが、ネグリ小体の出現率が100%でないため、陰性であっても、狂犬病を否定することはできません。
A蛍光抗体法
 大脳組織の凍結切片を作成し、蛍光標識抗体により染色し狂犬病ウイルスを検出する方法。検出率は98%で非常に精度は高いのですが、設備と試薬を必要とします。
B接種試験
 大脳組織の乳剤をマウスに接種し、21日間観察する方法。マウスに神経症状が現れた場合(写真参照)、前述した2つの方法で再確認します。接種試験は精度が非常に高い方法ですが、結果が出るまでに時間がかかります。
 その他の診断法として、研究機関のような設備の整った施設では、ウイルスの分離や遺伝子の検出など、精度の高い方法も行われています。
犬の狂犬病事例で、大脳の神経細胞内に認められたネグリ小体(矢印)。ネグリ小体の検出には、リン・タングステン酸エオジン染色が非常に適しており、紅く鮮明に染色されます。 牛の狂犬病事例で、大脳の神経細胞内に認められたネグリ小体(矢印)。オーソドックスなヘマトキシリン・エオジン染色で、必ずしも鮮明に染色されるとは限りません。
マウス接種試験
 マウスに神経症状が認められ、供試犬は狂犬病と診断されました。
4.狂犬病の予防と治療
 犬では不活化ワクチン接種による予防がベストです。日本では狂犬病予防法により、犬の飼育者には狂犬病ワクチンの接種が義務づけられています。
 海外では野生動物の予防も実施している国があります。経口タイプの弱毒生ワクチンを野外に散布して、それを食べた動物に免疫を与える方法で、狂犬病に対する感受性が高いキツネやオオカミ、イタチ、アライグマなどが対象となります。
 狂犬病はいったん発病すると、治療法はありません。明らかに狂犬病が疑われる動物や、狂犬病の動物に咬まれた動物は、蔓延を防ぐため治療せずに殺処分し検査することがベストです。
 人の予防には、感染の危険に曝される地域に出かける場合、ヒト用のワクチン接種を受けることです。
 不幸にして、人が狂犬病に感染した動物に咬まれた場合は、暴露後免疫(ばくろごめんえき)と呼ばれている方法で治療を行います。前述したように狂犬病は潜伏期間が非常に長いため、その間にワクチンを大量に接種し、免疫を賦与する方法です。実は私もこの方法で治療を受けたことがあります。狂犬病の検査のため、犬を解剖中にメスで指を切ってしまい、咬まれたのと同じ状態になってしまったのです。曝露後免疫により幸い発病することもなく、またワクチンの副作用もありませんでした。国内ではヒト用の狂犬病ワクチンを保有する施設は限られており、詳しくは最寄りの保健所におたずねください。
5.世界における狂犬病の発生地域
(注)牛、めん山羊、馬、豚、犬、猫及び、野生動物における発生状況。
日本では、1957年以降の発生はありません。
 わが国の農林水産大臣が指定する狂犬病清域。
 1997年に発生が報告されていない地域。
 発生状況が不明の地域。
 
限局的な発生が報告された地域。
 発生が報告された地域。
(1997年版 FAO-OIE-WHO Year book より。)
6.狂犬病の対応策
海外における対応策
 狂犬病はアフリカやアジアなどの途上国での発生が極めて多いことから、以下の対策が必要です。
@一般市民の狂犬病に対する知識の普及
A犬に対するワクチン接種(70%以上)と野犬のコントロール
B実行可能な対策の策定と予算化(技術協力などの援助を含む)
C担当当局における技術者の養成と教育
D疫学的サーベイランスを強化し、早期発見と迅速な防疫対策

日本における対応策
 我が国は、昭和32(1957)年以降、狂犬病の発生がなく、ワクチン接種と動物検疫により、狂犬病を撲滅した数少ない国の一つです。しかし近年、狂犬病常在国を含む世界の国々から、犬猫をはじめ様々な動物が輸入されており、狂犬病の侵入を防ぐため常に注意が必要です。ちなみに日本では、毎年数万頭の犬が輸入されています。また狂犬病の発生が長期間なかったため、本病に対する社会の関心が低く、加えて狂犬病研究者の数が極めて少ないことから、以下の対策が必要と考えられます。
@犬の飼い主さんに狂犬病予防の必要性を充分説明し、ワクチン接種を実施
A検疫の強化:狂犬病が発生している地域からは、犬はもちろんのこと、アライグマ、キツネ、フェレットなど感受性動物の輸入には、細心の注意が必要(狂犬病発生地域からの感受性動物の商用輸入が法律で禁止できればベスト)
B研究者の養成:途上国に対する技術協力も研究者の養成に寄与
C狂犬病が侵入した場合の対応策の策定(行政の危機管理)
おわりに
 アフリカでは、人が犬に咬まれた場合、狂犬病にかかるのではないかと、とても不安になります。私はそのような「人を咬んだ犬」の検査を主に行っていました。検査方法は病理組織学的検査で、顕微鏡をのぞきながら、前述したネグリ小体を検索していました。病理組織学的検査での診断は、必ずしも完全ではありませんでしたが、それでも陰性であれば、狂犬病の可能性はかなり低くなります。小さな子供が咬まれることが多く、陰性であればひとまずホッとしたものです。都市部では、人が犬に咬まれた場合、診断を待たずにヒト用ワクチンの接種による治療を受けることができます。しかし地方では、ヒト用のワクチンが充分にないため、咬まれてもこの「曝露後免疫」による治療を受けられないことがしばしばあり、とても残念なことでした。
 私は現在、犬の狂犬病ワクチンを接種する立場にいますが、アフリカでの拙い経験が、少しでも皆さまの参考になれば幸いです。
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